2006年2・3月
天津・北京滞在記

3月16日(木)

 朝食を早めにとって、8時に正門へ。張さんが待っていて、人民大学の車を探す。ワーゲンのパサートの新車で運転手ははじめての宋さん。長城へ出発。加速の良い車で、乗り心地も良い。張さんは、今の若者で一番社会的に評価が高いのはバナナ族だという。欧米留学で語学と専門知識を身につけた中国人は、外側は黄色いが、中身は白いバナナというわけ。

高速道路は重量物輸送のトレーラーが北へ向かう。張家口など河北省への輸送ルートになっている。道は空いていて、9時過ぎにケーブルカー乗り場に到着。張さんが老人割引で切符を買ってくれて、はじめてケーブルカーに乗る。6人乗り、フランス技術のキャビンカーだ。降りてから、長城の一角へ。前に遠くから見た場所だ。切り立った崖で長城はつながっていない。下を回る道はつながっているが、こういうデザインなのか、修復されなかったのか不明。

 続きの長城を少し上る。風も強くなく、見物日和だ。このあたりは、実戦的に防御設備として有効だっただろうが、平地の長城はシンボリックな意味のほうが強かったのだろう。長城の南の農民と北の遊牧民は、仲良く交易していたところに、中央権力が壁を造って分離したが、仲のいい交流は続いたという話もある。王朝国家にして必要な壁だったに違いない。外敵の存在感で内部を統合統治する手法は、昔のことでもなさそうだ。

 ケーブルで降りて、定陵に向かう。ここは中国老人割引しかない。万歴帝の地下宮殿は、前回財布が空で見られなかったところだ。ATMがなく、あり合わせで観光バスに乗った年にぶらついた石の橋などは見ないで陵の内部へ歩く。檜か柏の緑に囲まれた陵墓だ。人工的な積み石の隙間から生えた樹木が太い根を張っている。

 地下宮殿は、紫禁城の一部を移した形の部屋で構成されている。本格的な石積みだから、大きな穴を掘って石積みをしてから埋めたものだろう。盗掘されてはいなかったので、宝物も見事に残っている。1600年前後40数年の在位だから、秀吉の朝鮮侵略のおかげで軍費もかかる中、このような宮殿を造営したことになる。まさに、人民の負担は極限に達した時期だ。明王朝崩壊の直接的な原因を作ったのが万歴帝だ。地上に取り出された宝物の展示博物館は見事だ。繊細な金細工の王冠、凝った刺繍の衣服、金地金等々、人民の膏血だが、職人芸はすごい。

 ここで昼食。運転手の宋さんはもう済ませたとかで遠慮。珍しい人だ。この国では、運転手も食卓に着くのが普通なのに。トマトの卵炒め、ジャガイモの炒め、牛肉とタケノコの炒め、干焼豆腐、チャーハン、ビール。チャーハンに炒め物を掛けて食べるのが美味であることを発見。かなりの大盛皿だったので残すが、もったいない。回りの食卓も残飯の山。中国料理は、ロスが多いところが問題だ。どうにか調節は出来ないものか。

 長陵へ回る。ここでは張さんが交渉したら入場料が5元ほど老人割引になった。面白い国だ。ここは永楽帝の墓。巨大な木造の拝殿に銅製の永楽帝が鎮座している。日本には永楽銭でおなじみの皇帝だ。定陵出土の金・銀のインゴットなども展示している。長陵の発掘調査はしていないらしい。庭には見事な松の古木がある。南開大学でも見かけた枝先の湾曲した樹は龍爪槐だと判った。

 十三陵のある王家の谷への入り口にあたる神道へ行く。ここも神道博物館となっていて入場料をとる。入り口へ向かって逆行するかたちで歩く。柳は枝の緑が濃くなってきた。気温が上がって風が涼しい。文官、武官、麒麟、馬、象などの石像が両側に並ぶ。動物は立像と座像がある。唐獅子の座像はお馴染みだが、四肢で立つ唐獅子は初めて見た。石塔、華表が4本、石碑を納めた建物があって出口=入り口。華表は円筒の上に龍が置かれ、雲のような石板がはめ込まれた10mほどの石柱で、一種のオベリスクだ。石造文化としてギリシャなどに似た感じがある。

 4時前にホテル着。2人は農大まで乗って行き、兄貴と部屋に戻る。昨日は開けるのに苦労したので缶ビールを買ってきた。乾いたのどにビールが美味しい。湿度が低いのでのどが渇く国だ。ローヤルゼリーを買って2人が帰室。ここでも張さんの交渉力で割り引きしてもらえたとのこと。ビールを飲みながら歓談。兄貴が張さんに哲学を講義する間にネットに接続。ランケーブルを繋ぐとホテルのランに入れて、1時間10元などの料金を選ぶとネットに繋がる。スピードは速いが、料金は高い。たまったメールを受け、返事を出す。経営史研究所では仕事が待っているようだ。

 6時に燕山大酒店へ。李平先生と易友人先生に再会。易先生は予定を変更して都合をつけてくださった。ホテル近くの広州料理店で、焼き子豚、焼き鵞鳥など珍味を楽しむ。いつものように、歯切れのいい現代論をうかがう。現政権の主要人物の髪が黒々しているのは染めているためで、中央の決定によるメーキャップとのうわさがあるとのこと。ここもパフォーマンスの国だったとは。インターネットの書き込みは中国国内では読めないが、日本からは読めるので、各種情報が得られるらしい。中国語を読めるようになると面白そうだ。検閲をくぐり抜ける情報伝達によって新知識が国内に入る。壁新聞時代の口コミ情報ネットとは全く異なる情報網時代だから、統治にも細かいテクニックが必要になる。検閲と抑圧では通用しない時代になってきた。

 張さんは、いろいろ就職についてのアドバイスを受けている。こっちがお誘いしたつもりなのに北京だからとご馳走になってしまった。日本での再会を約束してお別れ。ホテルで張さんとお別れ。自転車で来てくれたとのこと。論文と就職の成功を祈る。

 

3月17日(金)

 朝食後、大鐘寺へ。全面的な改修工事中。全ての建物と回廊に足場が組んであり、各所で修復作業がおこなわれている。柱、扉の木部は被覆をはがしてセメント状のものを鏝で擦り込むように薄く塗っている。壁は、亜麻のような細い繊維をセメント状のもので押しつけるようにして塗り込む。屋根は、瓦の上に黒セメント状のものを一面に塗り重ねていく。2008年までには、きらびやかに輝く姿になることだろう。

 世界三大鐘のひとつ永楽帝の鐘のある建物は中に入れる。階段を上って上から見ることはできない。鐘の音のCDを売っている。鐘の楽器の建物も開いていて、ここでもCD音と実演。石の楽器でサクラサクラをおばさんが演奏してくれた。土産物店も開業中で、画家が馬の絵を描いて見せてくれた。200元というが買う気はおきない。

 あと100年は見られないであろう大修復工事をつぶさに見られたのは面白かった。人海作戦で、数十人が働いているが、あの民工たちはどのくらいの日給なのか。40元以下に違いないが、オリンピック景気で仕事があるのは悪くない。

 となりの書画骨董、貴石の店の集合ビルをちょっと覗く。電気器具デパート前の空き地では青空骨董市。がらくたが並んでいるが面白い。恵子がなにやら見つけて売り手と話している。茶碗がいくらなのか聞いたが判らないと言うので、紙に書いて聞くと200元。いらないと言うと150と書き直してきた。恵子にいくらなら買うのかきくと50元だというから50と書くと相手は首を横に振る。では帰ろうとしたら急に「OK」と言った。買ったら、その後が大騒ぎ。ぞくぞくと陶器を手にした売人が回りを囲む。振り切って横断歩道を歩くが、まだ何か言いながらついてくる。きっと、掘り出し物のあるところに連れていくといっていたのだろう。

 タクシーで帰室。キャリアカートをボーイに持ってきてもらい荷物を下ろす。支払をしていると、ホテルタクシーと自称する運転手が来た。大きい車を横付けしたので、いくらか聞くと120元という。100元ならと言うとOK。荷物が多いのでちょうど良かった。クラウンの旧型だ。少し英語を話す運転手で、「トヨタ」と言うから国産車かと聞くと輸入車だとの答え。たしかにこの型では、天津製ではない。道は空いていて1時頃に空港着。

 チェックイン・カウンターの並ぶところに入る前にパスポートと航空券のチェックゲートがある。カウンターでは日本語で丁寧な案内をしてくれる。窓側を頼んだが満席とのことで中の列3席にする。荷物とボディーチェックを受けて、出国手続き。出国表、カスタム申告表、検疫調査表の3枚は、元が持ってきてくれたのにホテルで書き込み済み。

 食堂で昼食。3品と炒飯、包子、ビールと水を、キャフェテリア方式で買う。130元というので驚いた。料理皿は10元台だからもっと安上がりと思っていた。レシートを見ると、ホテルで4.5元の青島缶ビールが35元、街で1元くらいのミネラルウオターが15元もしている。いつか、ミルクが高いのに呆れたことを思いだした。空港はどこでも高めではあるが、これは暴利そのものだ。

 時間があるので恵子の買い物を点検する。鼠色地に茜色をランダムに流した井戸形茶碗で新品ではなさそう。埃を拭くときれいな色合いだ。抹茶茶碗であるはずはないから、食器だが、少し重いものの使えそうな茶碗だ。富山さんに見せるとなんというか。

 定刻離陸。ハリーポッター、炎のゴブレットを観ながら、ブドー酒を楽しむ。全日空だから酒類サービスがあって良い。ステーキか赤飯のチョイス。昼食をとったばかりだし、硬めのステーキなので大部分は残してしまった。恵子の赤飯は、就航20年記念食とかで、こっちのほうがまともだ。

 追い風が強かったので2時間50分で成田着。荷物は宅急便に預けて、明日の新幹線切符を買ってから、京成特急に乗る。ふじみ野へ着いてから、鮨を買って11時帰宅。ビールで乾杯。兄貴も元気で良かった。

 2006年春の中国への旅、無事終了。

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